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皆さま、お久しぶりです。名ばかりの編集長・Akatsukiです。
2016年3月に出産後数ヶ月で職業訓練に通い、娘が10ヶ月の時に夫とともに起業。
わずか10ヶ月で断乳をしました。
2017年4月から娘が保育園に入園し、月曜日から土曜日まで仕事をするバタバタとした生活を過ごして1年が経とうとしています。
夫は土日に東京出張に行くことが多いため、家族全員で過ごせる時間は朝と週三回の夕食時のみ。
先週数ヶ月ぶりに家族でお出かけをして、子供達の成長ぶりに夫婦でウルウルしていました。
『ここまでくるのが大変だった・・・』
娘がもうすぐ2歳になるまでのこの2年間。
それはそれは、大変で激動の2年でした。
私が特別に大変かと言うと、そうではありません。私の場合は自分たちで仕事をしているため、ある程度は時間に融通が利きます。
むしろ、子供が1歳になると職場復帰をせざるおえない会社員のワーママを思うと、ああ辛いだろうな。
だって本当は育児をめいっぱい楽しめる時期なのに、私たちは慣れない育児と仕事、それに加えて夫婦だけではいらなかった家事や子どものカラダを思って作る料理。
夫婦だけでは、ま、いっか!と思えることが、子どもがいることで思えない母親としての義務感。
一緒にいる時間だけは笑顔でいてあげたい思いと時間の無さ、子どものグズリにイライラ。
この2年間はずーっと葛藤の日々でした。
そうです。
私たち夫婦は、この2年間何度も離婚の危機を迎え、何度も踏みとどまり、幾度となく話し合いを繰り返してきました。
『産後クライシス』
『産後 離婚』と調べると出てきた産後クライシスというワード。
聞いたことがなくてピンとこない産後クライシス。あ、これだ!とすぐにわかりました。
我が家もまさに、産後クライシスで離婚をする寸前。あの時離婚していたら、今すごく後悔していたかもしれません。
産後2年間に起こる離婚のほとんどが、産後クライシスによるものだそう。
離婚をして後悔する女性を一人でも減らしたいという想いで、ここに綴ります。
産後クライシスとは?自分は産後クライシスに陥っているのか?
産後クライシスは出産後急激に夫婦仲が悪くなる現象のことを言います。
我が家の場合、私が育児ノイローゼなのか、産後ブルーなのか?
夫にだけ苛立ちをぶつけてしまい、夫婦仲が悪くなる一方。
なかなか仕事から帰ってこない夫に泣きながら何度も『もうしんどいんだよ、帰ってきてよ』と電話したことも。
それでも夫の仕事が終わるはずもなく、途方に暮れる私。
夜中の授乳にホルモンバランスの崩れ、睡眠不足に上の子どもたちのケア。
夫に対する愛情がどんどん薄れて行って、『お金だけ入れてくれたら帰ってこなくていい』と言ってしまったこともあります。
夫が保育園の送迎もしてくれるし、朝ごはんの準備や子どもの登園の準備をしてくれるのに、それでも私は夫に対して常に苛立ちを覚え、『なんでもっとしてくれないの?』という感情をぶつけていました。
と、いうことは、子どもが生まれようが全く生活を変えずに職場へ行って帰ってくる父親に対して、母親が愛情を持てなくなることは、当たり前のようにも思えます。
育児は、もちろんおっぱいがある、母親である私たちがメインでするものだということは分かっていても、協力や思いやりがなければ、やっていけない。
「あなたの子だよ?二人の子どもなんだよ?」
もちろん、夫が大黒柱で稼がなければ生活できなくなるということも十分にあります。
でも、夫に対して愛情を抱けなくなるのは、自分だけではコントロールできないカラダの変化。
そして、夫からもらえる思いやりや気遣い、優しさのある声かけが圧倒的に足りていないという現実に
母親になったばかりのお母さんや、父親になったばかりのお父さんが気づいていないからだと思います。
これって産後クライシスかも?と思ったあなたへ
私は現在7歳と5歳になる男の子と、もうすぐ2歳になろうとしている女の子の母親です。
子どもが2歳になる前後は、正直毎回、離婚問題が勃発しています。
私たち夫婦の例で、あ!これって産後クライシスかも?と思っていただければ、離婚を防げるかもしれません。
第1回離婚危機勃発事件発生:2011年12月・・・現在7歳の長男が2歳になろうとしていたとき
私たちは関東圏で結婚しました。ちょうど長男が1歳になろうとしている時に東日本大震災に見舞われます。
関東圏とはいえ、放射能の影響などが懸念され、水道水が使えない日々が続きました。
スーパーから物が消え、私の実家のある京都から、水やオムツやお米、お野菜を送ってもらい生活していました。
漠然とした不安を抱え、夫は独立を決意。夫婦ともに仕事を辞めて、実家のある京都へ。
夫の独立をサポートするため、私が外でフルタイム勤務しながら生活費を稼ぐ日々。
長男は朝の7時半頃から18時45分ギリギリまで保育園に預けていました。
夫のビジネスはうまくいかず結果、離婚の危機を迎えます。
私は生活費を稼ぐために必死なのに、あなたはどうなの?
このままだったら、あなたがいなくなって実家で子どもと暮らしている方が裕福になれるんじゃないか?
長男が1歳になった4月に子どもを保育園に預けるために、その2ヶ月前には断乳してた私の体。
断乳から数ヶ月してやっと生理がきます。
ただ、生理はすぐには正常に戻らずに、きたり来なかったりを繰り返す。
私のイライラや夫に対する愛情が薄れてしまうのは、生理のせいだ!
と自分に言い聞かせ、夫にもひどく言い過ぎてしまった時は『もうすぐ生理だからごめんなさい』とあとでフォローするように心がけました。
それでも夫に対するイライラや怒りの感情は消えず、私は発狂します。
その時です。私たちの間で初めて『離婚』というワードが出てきます。
子どもは一人だし、フルタイムで働いていたら、18万円ほどの収入がある。
実家にお世話になれば、一人でも育てていけるのではないか?
そして12月。私の中に次男が宿っていることが分かります。
二人の子どもをしかも、生まれる前から一人で育てていくことを考えた時、
この子達から『お父さん』という存在を奪うのか?とか、
たくさん悩み、たくさん人に相談し、泣きじゃくる日々を過ごしました。
これから生まれてくる命のため、今いる私たち家族を守るため、
夫は薄級のサラリーマンに舞い戻り、経験のない携帯販売やテレフォンアポイントの仕事で再スタートを決めました。
どれだけ私が泣いて叫んでも、離婚はしないと言い張った夫。宿ってくれた命にいまだに感謝しかありません。
第2回離婚危機勃発事件発生:2013年12月・・・現在5歳の次男が2歳になろうとしていたとき
ちょうど次男が6ヶ月になるころ、私はひどいギックリ腰で一ヶ月間の寝たきり生活を強いられます。
当時は実家に居候状態だった我が家。
全く動けない状態が1日続き、トイレにも行けず緊急搬送。
検査結果は、ヘルニアと股関節のカブリが浅い、臼蓋形成不全という謎の診断。
なんとか帰宅するも、松葉杖をついての生活。
生まれて半年の赤ちゃんを抱っこすることすらできず、実母が次男を私のおっぱいのところまで連れてきてくれての授乳。
ご飯も作れない、保育園の送迎すらできない。
誰にも何にも役に立たない自分と、私の祖父母から受ける無言の”役立たず”という圧力で顔面神経痛に。
そんな時に、夫が『今月で仕事やめる』と言い出します。
確かに、毎日終電で帰宅するような生活。しかも手取りは十数万円。
妻、子ども二人の彼がもらえるお給料とすれば、生きていくのがやっとという状態。
実家の居候だから生活できるものの、これでは絶対に経済的に自立できない。
ストレスがピークに達した私は、また『離婚』ワードを夫に突きつけます。
どうしてやめる相談もしないの?
どうやって生活していくの?
結果、実家暮らしで精神的にダメージを受けていた私は『実家出る』と居候生活をやめることを決意。
2013年8月。夫婦揃って無職の非課税世帯になった私たちは、4〜5万円のアパート探しを始めます。
当時のことを振り返ると、実母は「いまだに泣けてくる」と。
やっと見つけた築30年ほどのアパートと、面接を受けた職場が受かることだけを祈り、過ごした1ヶ月。
見事二人とも面接に通り、10月から同時にフルタイム勤務を始めます。
ところがどっこい。いざ仕事を始めると、やれ洗濯だ、やれ料理だ、保育園のお迎え間に合わない!と周りの人々を巻き込みに巻き込んで、2013年12月。
真っ暗闇の中、18:45に保育園に滑り込み、(もちろん車なんて所有していませんから)4歳と2歳の男の子を自転車に乗せ、雨の日も風の日も雪の日もチャリ。
なんども子乗せ電動自転車で転倒。『助けてください!助けてください!』となんとか子どもたちを守り、自分の足は青タンだらけ。
「私、何やってんだろ・・・」
私のストレスはひどく、帰宅して全く何もできないこともありました。
保育園で先生に号泣し、アパート下で号泣し、部屋まであがれないことも度々ありました。
子どもたちをテレビに子守させ、「ごめんね、ごめんね、ご飯作れなくてごめんね」と夫の帰りを待つ。
夫だって転職したてで相当辛かったでしょう。泣きながら「どうしても立ち上がれなくて、、、お惣菜買ってきてくれない?」と電話していました。
もはや夫への愛情は皆無。私たちの結婚生活はどん底に。お互いを想い合えない日々が続きます。
いま考えればこれも産後クライシス。離婚に踏み切らなかったのは、2人の子どもたちの笑顔があったからです。
あの時離婚していたら、すごく後悔していると思います。
第3回離婚危機勃発事件発生:2019年2月(いま)・・・3人目長女が2歳になる直前
冒頭でもお伝えしたように、前職は娘がお腹にきてすぐに退職。娘が8ヶ月の時に職業訓練に通います。
私自身、家でじっとしていることができない体質な上、平日上のお兄ちゃんたちが保育園に行っている間は、生まれたばかりの娘と二人。
子ども以外、一日ほとんど誰とも話さない日なんかもあり、これはいかん!と外に出ることを決めます。
もちろん保育園入園なんかはできませんでしたから、実母や妹、友人にベビーシッターをお願いして何とか毎日通学。
卒乳でもなく、断乳でもなく、朝出る直前におっぱいをあげて、パンパンになったおっぱいを授業の途中で捨て、帰宅後すぐにまたおっぱい。
おっぱいをあげてから上二人を迎えに行ってました。
そしてその三ヶ月後、夫が複業でしていたビジネスが軌道に乗り、起業。
娘が1歳で保育園に入れるために、10ヶ月で断乳。
その後数ヶ月後に、生理がきます。
もともと生理痛もなく、生理のトラブルもなかった私ですが、妊娠・出産を経て、どんどん生理痛がまし、生理前の月経前症候群いわゆるPMSにみまわれます。
自分の生理の周期はきっちりアプリでつけているにもかかわらず、不安定な生理は2ヶ月に1回になったり、3日で終わったり。
なぜか泣けてきたり、なぜかいら立ったり、自分でも自分の感情がコントロールできない上、仕事が始まります。
夫は夫で忙しいし、ゆっくり話も聞いてくれない。長男は小学校に入学し、心のケアがいる。
保育園入園後すぐは、娘の体調不良や慣れないことによる、夜泣き。
ひどい時は、朝2時から4時まで続きます。
それでも朝は起きなければならない、やらなければならない、でプツン。
私のどこかの線が切れ、もう夫に対しては「何でやってくれないの?」「私だって働いているのに」
毎月訪れる、この月経前症候群。断乳したことにより、体が戻っていく感覚。
断乳から1年が過ぎても、母乳が出る=体が完全に戻りきっていない
これだけ、産後の体はめまぐるしく変化し、そこに育児と仕事が加わって、お手上げ状態になります。
フルタイムでお仕事をされている人や、時短勤務が取りにくい企業、制度が整っていないため「子どもの体調不良で休みます。ごめんなさいごめんなさい」と連絡する朝。
どれもこれも、お母さんの負担になって育児ノイローゼや産後ブルー、はたまた産後うつ、虐待に離婚にまで発展していくのです。
本当は自分が産後クライシスに陥っているのに、気づかずに、離婚してしまうこともあります。
これは産後クライシスかもしれないと理解するだけで、今だけの感情かもしれない、と踏みとどまることができるかもしれません。
これ、産後クライシスかも?と思ったら、いったん離婚は踏みとどまりましょう
産後2年で離婚を決意する人が、離婚全体の3割にものぼる・・・という厚生労働省の調査があります。
ここでは、3度の妊娠、出産を経た私がなんとか産後クライシスによる離婚せずにいられた秘話をお伝えします。
ズバリ!
1.体の変化をきちんと夫に伝える
自分の体のこと、断乳や卒乳が終わり、生理がまた始まること。生理が始まる体に戻る=体にかなりの変化が起こること。
それを、夫にきちんとお伝えする。
毎月だいたいこの辺りは、イライラが増すというのをカレンダーに記入して、
「そろそろ、来ます、アレ」
と、前もって夫に伝えること。
全く女性のからだのことを分かってくれていない夫には、絶対に分からないといけないこの私たち母親を襲うホルモンバランスや自律神経の乱れ。
決してあなたが悪いわけでも、旦那さんや子どもたちが悪いわけでもありません。
これは、仕方のない自然の原理だと言い聞かせ、言い過ぎたら、ごめんなさいと謝る。
それしか、ありません。
2.夫に甘える
私はもともと腰痛持ちだったため、子どもの抱っこもほぼ夫。
ゴミ出しも、重たくって〜行って欲しいな♪
昨日は夜泣きがきつくって起き上がれないよ。
朝ご飯はあれとあれでお願いできる?
などと、どんどん自分のしていた家事を夫に任せています。
そして、任せた家事に決して文句を言わないことを心がけ、助かってる助かってると友人や家族に言いふらします。
そうすると、夫の周りからの評価も上がり、よくやってるよね、旦那さんすごい!と言っていただける。
それがまた嬉しくて、一人で子ども全員連れて出かけるよ。と言ってくる日もあります。
イクメンパパを演じ切るプレイが楽しいらしいです。笑
3.勤務形態を見直す
例えばフルタイム勤務が身体的、精神的に厳しいなら、転職を考えてもいいでしょう。
お給料が一旦は減るかもしれませんが、健康を損ねては元も子もありません。
子どもの進学や夫の昇進など、お母さんには変化がつきもの。
一旦はパート勤務や時短勤務に変更してその間に勉強することもできますよね。
仕事をしていない人は仕事をはじめてみる。ある意味リフレッシュになるかもしれません。
1か100かではなくて、今の自分にとって何が最善かを考えてはいかがでしょうか?
4.夫以外の人に頼る
家事の負担が多すぎるなら、家事代行サービスを依頼してみればいいでしょう。
『離婚』にまで発展してしまう前に、防げる策はないのか。
お互いに歩み寄れる方法はないのか。今を乗り越えるためだけのツールだととらえます。
私は自身の経験をもって、産後2年が踏ん張りどきだと断言します。(もちろん人によって離婚しかない状況もあります)
ですから、子どもが一番大変な2歳前後に家事代行をすることは、夫婦の幸せ・笑顔を取り戻す一番の近道だと思います。
事実、私たち夫婦は友人に家事代行の依頼し、喧嘩することがほとんどなくなりました。
家事を人にお願いして月に一度は映画など、夫婦で出かける時間を作るようにしています。
私のイライラも減り、離婚ワードが一気に我が家から消えました。
5.家族のライフプラン、個人のライフプランを考え直す
私は子どもが最初から3人欲しい!と思っていたわけではありません。
1人でいいのか2人欲しいのか、3人4人欲しいのかによっても、働くお母さんの忙しさは変わって来ます。
夫の帰りが毎日遅く、ワンオペ(※一人で育児をすることをワンオペレーション育児と言います)状態で子育てするのであれば、お母さんが仕事をセーブする方がいいかもしれませんし、
我が家の場合は、「私も全力で仕事したい!その為には、あなたのサポートも必要」と、夫も週に3回は19時に帰るを徹底しています。
それ以外の日は深夜、もしくは朝方までやりたいだけ仕事する!というメリハリをつけています。
夫は土日も出張でいないことが多いため、普段から私の負担を減らす努力をしてくれているのが見えます。
家族としてのライフプラン。個人としてのライフプランをこの時期に見直してみるのも良いでしょう。
終わりに
いかがでしたか?
今回は私自身が3度も実際に経験した産後クライシスとやらをツラツラと綴らせてもらいました。
過去をさかのぼると、本当に様々なことがありました。
結婚して8年。平凡に生きて来たつもりでも、これだけ紆余曲折(うよきょくせつ)あったのですから、今後の人生もまた複雑にできているんだろうな。
何度となく産後クライシスによる離婚騒動をしながらも、離婚せずに来れたのは、夫・子ども・親や身近な親戚・友人や同僚の支えがあってこそです。
もちろん、モラハラや浮気・不倫に虐待など、絶対に離婚せざるをえない状況は必ずあります。
その場合は、我慢せずに、お母さんの笑顔とお子様の健やかな成長のために、全力で向き合ってください。
後悔しない選択ができるように。
産後2年前後の夫に対する愛情の薄れ、これは産後クライシスかもしれません。
今をどう乗り切るか、それで今後の結婚生活は大きく変わって来ます。
誰と結婚してもそう変わらない。
あとは自分と相手の歩み寄り次第じゃないでしょうか?
今日もあなたが幸せに包まれていることを心から願っています。
叫びたいときは叫んで!泣きたいときは泣いて!
「来ました、今月のアレです。」と笑いながら旦那様に言ってみてください。
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